『コーヒー おいしさの方程式』紹介 (9)


補足説明その2。アラビカとロブスタ。

コーヒーの品種と、成分や香味の関係についての話です。


右に示したのが、本書で用いられたものの原図にあたります(味の部分のみですが、本の中では香りと味両方のものが示してあります)。これも原図では結構線が入り組んでいて見づらいですが、デザイン担当の山崎氏の手ですっきりと見やすいものが載せてあります。

ただし見やすさを優先するに当たって、原図から大きく変更した点があります…すでに本をお持ちの方は、見比べていただくと判りやすいかもしれません。原図の方では左側のアラビカ/ロブスタの成分から、右側の「フレイバーチャート」に被せるようにしています。これに対して本ではこのフレイバーチャートをカットし、「どういう香味が出るか」をシンプルに説明することだけに集中させています。


この「成分表をフレイバーチャートにリンクさせる」というのは、コーヒーの香味を考える上での重要なポイントの一つになります…生豆に含まれている香味の前駆物質(プレカーサー)のうち、特定のものが多くなれば、それに応じて焙煎後の香味も変化します。例えば、ロブスタのように「クロロゲン酸類が多い豆」を想定するならば、それに応じて、クロロゲン酸から繋がってくるフレイバーチャートの成分…コーヒーらしい苦味やエスプレッソの苦味や、スパイスのような香り(ビニルグアヤコールなど)の生成量が増える…量が増えてそれらの香味の特徴が強く出るとともに、通常よりもやや早い焙煎段階からでも感じ取れるようになります*1


こうしてフレイバーチャートを活用すれば、生豆に成分レベルで変化が起きたとき、焙煎豆の香味がどう変化するかを予想しやすくなります。これは品種に限らず、精製法や栽培条件などでも同様です。本文中では、標高や精製法がどのように生豆の成分に影響するか、いくつか代表的なものを紹介していますが、その条件をフレイバーチャートに当てはめれば、それぞれの香味の特徴をなんとなく掴めるでしょう。

*1:香味成分が実際に香味として感じられるようになるには、一定の量(閾値)を超える必要があるため

アラビカとロブスタ

「あれだけスペシャルティとか高品質とかと言ってきたのに、いまさらロブスタの話?」と思われた方もいたかもしれません。ゲイシャとかパカマラとか、いろんな品種が出てきた中で、なぜ今更アラビカとロブスタの比較なのか。


理由は三つあります。その一つ目…これが最大の理由なのですが、とても単純で、ゲイシャやパカマラと言った、スペシャルティ時代になって脚光を浴びるようになった新しい品種では、成分を分析した論文がまだ出てないからです。データが出てないものは、取り上げようがありません。

これも「いわゆるコモディティ時代」のものになると、品種と成分や香味を比較した論文はそれなりにあります。実際の香味や、これまでの(コモディティ時代の)論文のデータから考えると、例えばゲイシャには、花や柑橘系、アールグレイ紅茶の香りがするリナロールとか、レモンの香りがするリモネンなど、テルペノイド系の精油成分が、従来のコーヒーの品種に比べると多いんじゃないだろうか、とか仮説だけならいくらでも立てることができます。しかし、それが本当に正しいかどうかは、実際に分析された研究論文がない以上は何ともいえないのです*1


では「コモディティ時代」のデータでもアラビカで、成分に違いがあるようなアラビカの品種間で比べればいいじゃないか、と思われるかもしれません。しかし本文中でも触れているように、例えばティピカとブルボンの比較のような、アラビカの品種同士での比較では、成分レベルでの違いはほとんど見られません。だから、これらを「成分レベルで」比較しても、品種の違いと香味との関連を説明することはかなり難しいのです。これが二つ目の理由*2

この「香味における品種の重要性」を解説するためにいちばん打ってつけなのが、結局、成分の違いが非常にはっきりしているアラビカとロブスタの比較です。つまり「From Seed To Cup」の流れの中で「品種(→ seed)の重要性を最も端的に表すモデルケース」として、これを例に挙げたわけです。


そして三つ目…これは非常に複雑で、結構デリケートな問題なのですが、耐病品種との関連があります。

*1:SP大全が出るころから、まだかまだかと論文が出るのをずっと待ち続けてるのですが。

*2:「でもティピカとブルボンって、香味がちょっと違うじゃない」と思う人もいるかもしれません。その通りです。「生豆の成分は大差ないはずなのに、焙煎すると味が違う」というのは、非常に面白いポイントなのですが、それを説明することができた研究者はまだいません。実は田口氏の「システム珈琲学」の中に、その答えの可能性があるのですが、それは後日に。

耐病性ハイブリッド

1970年代、中南米のコーヒー栽培は大きな脅威に晒されました。コーヒーさび病の発生(『さび病パンデミックの衝撃』参照)です。これに対抗するための方法として、80年代後半から90年代にかけて、コロンビアやブラジル、そして中米諸国は相次いでアラビカとロブスタのハイブリッド系の耐病品種を開発し(SP大全の品種チャートに収載)、それに転作することでコーヒー生産存続の危機を何とか乗り越えました。

ところが、これとほぼ時を同じくして「中南米のコーヒーの味が全体に悪くなった」という評価が、消費国側で囁かれるようになります。耐病性ハイブリッド品種は、国際取引上では「アラビカ」として扱われているのですが、初期の耐病品種はロブスタの持つ優れた耐病性と同時に、ロブスタ特有の成分バランス…クロロゲン酸の多さやショ糖や脂質の少なさ…も、部分的に受け継いでしまっていたためだと考えられています。これによって、いわゆる「コモディティ」の香味品質が低下したという評価が、70年代から始まっていたスペシャルティ運動をさらに後押しする要因になったと考えることができます。


耐病性ハイブリッド品種は、現在も中南米など多くの生産地で栽培されています。ただし現在栽培されているものの多くは、90年代以降にさらに品種改良を繰り返し、耐病性以外をアラビカに近づけるための「戻し交配」を重ねていったものとなっています。少なくとも、生産国側のカッパーの多くは「カッピングの結果では、従来の品種とほとんど変わらなくなってきた」と主張していますし、実際のブラインドテストでもその主張が概ね裏付けられつつあります。


しかし消費国側では未だに「ハイブリッド、イコール低品質」という思い込みがぬぐい去れていません。未だに「ハイブリッド」と聞いただけで侮って低く評価し、敬遠するコーヒー関係者もいるのが現状です。評価が低ければその分「買い叩ける」し、耐病品種以外を扱う業者にとっては耐病品種を叩くことが自分たちのコーヒーの差別化にもつながるなど、利害絡みの思惑もその背景に存在すると思われます。

一方、生産国側としては、耐病品種を売り込みたいところでしょう。ただでさえ価格不安定なコーヒー生産では、不要なリスクは避けたいところですし、農薬散布などに掛かる対策コストを考えれば、耐病品種の方が有利です。とはいえ、スペシャルティ運動の高まりに伴って消費国側のニーズが増えたため、耐病品種でない品種を作って付加価値を得ようとする生産者も一方では増加しています。ですが、それは「ワクチンを打たない人が増えた」ようなもので*1、産地全体にさび病の脅威を高めることにもつながりかねません。昨年も中南米での「新型さび病」の発生が話題になったように(『さび病基本Q&A』参照)、コーヒーさび病は現在も変わらず大きな脅威であり、コーヒーそのものが今後存続していけるかどうかは耐病品種に掛かっているといっても過言ではありません。これは「コーヒーのサステイナビリティ」の問題にも繋がるのです。


こうした問題は、例えば"Disease Resistance and Cup Quality in Arabica Coffee: the Persistent Myths in the Coffee Trade versus Scientific Evidence"と題したVan Der Vossenの2008年の論文*2などでも良く議論されています。またワインの世界にもこれと似たような歴史があり、ブドウ根アブラムシによる病害によってフランスなどでは伝統的なブドウ品種の栽培が困難となり、現在主流の品種(カベルネソーヴィニヨン、メルローピノノワールシャルドネなど:耐病性の台木との相性がいい品種)への転作が進みました。ワインの場合、ボルドーにせよブルゴーニュにせよ、最終的にはこうした「耐病品種」が受容され、それを用いて各地の特性を表現しながら、テーブルワインから超高級品までさまざまなランクのワインが作られるようになっています。しかし、コーヒーの場合はまだそうした状況には至っていないというか…耐病品種への「軟着陸(ソフト・ランディング)」を図るのではなく、生産側が一方的にリスクを抱え込む形で、スペシャルティ好みの従来品種を作りつづけることで「高品質」を支えているという構図にあります*3


……とまぁ、耐病品種を取り巻く問題は非常に多面的で複雑だと言えます。「スペシャルティ時代になって、生豆の品質は『成分的に』良くなったか」という疑問に対する答えもまた複雑です。80年代後半〜90年代に中南米で「耐病品種によって」品質が低下したと言うのが本当かどうかも、実は意見が分かれる部分もあるのですが*4、正しいとするならば、スペシャルティ時代(70年代以降)に入ってから、当初の理由(国際コーヒー協定やアメリカ国内のロースターでの価格競争激化)とはまた別の、さび病という原因によってコモディティの品質が低下した、と考えることができるかもしれません。ただしそれが事実かどうかはともかく、そういう評判があることは確かであり、それを踏まえてスペシャルティ時代の後半になってから「昔の高品質だった時代に近づけようとする動きが出ている」と言うことは可能でしょう。

今後もこの動きが続けば、耐病品種のさらなる改良によって、特に「コモディティコーヒーの品質」が高まっていくのはまず間違いないでしょう。現在スペシャルティを作っているところも当然、その恩恵に与って安定生産が可能になると思われますが、そうなったときにどうやってコモディティと「差別化」していくのか……なおもハイブリッドを腐しつづけて差別化を図るのか、香味ではなく従来品種という希少性や物語性をアピールするのか、それともワインの一流の作り手たちのように耐病品種を受容した上で、別の部分でさらなる高品質を目指すのか……。


この辺りは考え出すと本当にきりがないのですが、この根幹となる「耐病品種の香味」問題も元を辿れば「アラビカとロブスタの香味の違い」から生じています。

*1:実際は、さび病は標高の低いところで発生しやすいため、標高の低いところでは耐病品種を、標高の高いところでは従来の品種と「植え分け」する生産者が多いです。ただし近年の需要増加で、従来品種が以前より低いところまで栽培が広がる傾向も見られます。

*2:http://asic-cafe.org/en/system/files/A114_2008.pdf で要旨が読めます(PDFファイル)。

*3:もちろんワイン業界も一枚板ではないので、病気に弱いが希少性のある品種で高品質なワインを作る作り手もいるでしょう。また他の農作物での無農薬栽培などへの消費者支持にも同様の側面があるので、コーヒーだけに限った構図ではありません。

*4:例えばこの頃、コロンビアでは「フェノール臭問題」と言われる、一種の異臭を伴う欠点豆の増加が起きています。この原因に、は当時さび病対策に使われた殺菌剤から土壌のカビが作り出す2,4,6-トリクロロフェノールTCP)や2,4,6-トリクロロアニソール(TCA)の関与が指摘されていますが、クロロゲン酸類の増加や組成の変化もコーヒー中のフェノール類の量に影響することが予想されます。