クラシックスマトラ
インドネシア各地では元々ティピカが栽培されていたが、19世紀末のさび病の流行によって、また20世紀初めからロブスタを含む耐さび病品種への転換が進んだことで、それらの古い品種の多くは失われてしまった……と、そう考えられていた。
しかし後になって、北スマトラ奥地にあるトバ湖の周辺で古いティピカ系の品種がいくつか発見された。これらは俗に「クラシック・スマトラ」と総称されている。バーゲンダル、シディカラン、オナン・ガンジャン、ガロンガンなどの名前が知られているが、それぞれの違いについてはあまりはっきりしない。
バーゲンダル(Bergendal、ベルゲンダル)は、クラシック・スマトラの代表的品種の一つであるが、これがどこで、いつごろ再発見されたものなのかについては、よく判らない。一説には、トバ湖南岸のリントン・ニフタ Lintong nihuta*1、俗に言う「リントン地区」で発見されたもののようだ。
バーゲンダルという名前の由来も明確ではないが、おそらくはオランダ語の"Berg-en-dal"に由来すると思われる。"Berg-en-dal"は元々、"mountain-and-valley"、「山と谷」を意味する言葉である。現在のオランダ南部のドイツとの国境付近や、かつてオランダ領だった南米のスリナム東部に、この名の付いた地域があるので、ひょっとしたらこれらの地名との関係があるのかもしれない。
シディカラン(Sidikalang)もまた、バーゲンダルと並んで名前の知られたクラシック・スマトラである。シディカランはトバ湖の西、ダイリ地区にある地名であり、ここで再発見されたことからこの名がある。この辺り一帯はパクパク・バタク族の土地であったと考えられる。
オナン・ガンジャン(Onan Ganjang)はリントン地区にほど近い、トバ湖南岸の同名の地区で発見されたものである。リントン地区は現在マンデリンの産地として有名であるが、ここでクラシック・スマトラとして現在栽培されているものは、このオナン・ガンジャンに由来するものが主流らしい。このことから、UCCがリントン種と呼んでいるものも、おそらくこれと同じものだと思われる。
ガロンガン(Garonggang)は、上の3つより南のシアイス(Siais)と呼ばれる地域で発見されたもののようだ。ガロンガンはシアイスの別名である。この地域はアンコーラ・バタク族の土地であったと考えられる。
*1:リントン・ニ・フタ Lintong ni huta とも呼ばれる。「フタ huta」は、現地のトバ・バタク族の言葉で「村」あるいは「集落」を意味する言葉。
ブラジルの「スマトラ」
紛らわしい話なのだが、コーヒーの品種を語るときに、上に挙げたスマトラ島の品種を「スマトラ」と呼ぶのは間違いのもとだ。「スマトラ」と、上記の「クラシック・スマトラ」は、厳密には異なる…というより、「スマトラ」はスマトラ島で栽培されている品種ではない。単に「スマトラ」と言った場合、それはブラジルの一品種を指す。
ブラジルの「スマトラ」は、ブラジルでのコーヒー栽培が行われるようになった後で、新たにスマトラ島からブラジルに移入されたものに由来する品種だと考えられている。クラシックスマトラ、特にバーゲンダルと近縁関係があると考えられている品種なのだが、いつごろ、どのような経緯で導入されたかについてはよく判らない。ただし、少なくとも1930年代までにはブラジルで普及していたことは明らかだ。
すでに何度か述べたが、コーヒーノキは、オランダ本国を経由して南米のスリナムに、あるいはオランダからパリを経由してハイチやマルチニーク島に伝えられた。これらのコーヒーノキとインドネシアのものは、同じティピカではあったが、オランダの植物園もしくは中南米の地で栽培される間に、若干その性質に違いが現れ、「昔ながらのジャワコーヒー」とはやや趣の異なるものになっていたようである。
ブラジルでの本格的なコーヒー研究が始まった頃、カンピナス農業試験所が1933年に、当時ブラジルで栽培されていた品種の特徴についてまとめているが、このときにはティピカに由来する品種として、「ナショナル」「マラゴジッペ」「スマトラ」の3種類の名前が挙げられている。このうち、マラゴジッペは大型化した変異種であり、ナショナルがより古くから栽培されていた品種、スマトラはその後でインドネシアから持ち込まれたものだと認識されていたようだ。
カンピナス農業試験所では、さらにこれらの品種の生産性についての比較検討も行っている。これらのティピカ系の品種はすべてブルボンよりも収量では劣っていたものの、スマトラの生産性はブルボンよりわずかに低い程度であり、ティピカ系ではもっとも有望視された*1。このため、ブラジルで古くから栽培されていた「ナショナル」の豆は徐々に栽培されなくなり、ブルボンやスマトラに置き換えられていったのである。さらに、スマトラとブルボンとの交配によって作成されたムンドノーボや、さらにムンドノーボとカトゥーラの交配で生まれたカトゥアイなどにも、「スマトラの血」が受け継がれていると言えるだろう。
ハワイコナとの関連
またもう一つ、このブラジルのスマトラとの類似性が指摘されている品種がある。ハワイの「コナ」Kona(コナ・ティピカ、Kona typica)だ。
コーヒーノキが初めてハワイに持ち込まれたのは1813年、ハワイのオアフ島にドン・フランシスコ・デ・パウラ・イ・マリンが観賞用に持ち込んだのが最初だと言われている。ただし、このコーヒーノキの子孫は残っていない。
1825年にイギリスの造園技師、ジョン・ウィルキンソンがブラジルのリオデジャネイロから30本のコーヒーノキを移入して本格的な栽培を目指したが、1827年、志半ばにしてウィルキンソンは病死してしまう。彼のコーヒーノキはその後、数年に亘って実を付けたが、やがて彼の後を追うかのように枯れてしまった……その種子が彼の遺志と共にハワイの各地に広まったのを見届けるようにして。
現在名高いコナコーヒーの栽培も、このときに始まったものである。ウィルキンソンのコーヒーの子孫を、サムエル・ラグルス牧師が1828年と1829年に植えたものが最初である。すなわち、最初の「コナコーヒー」はブラジルで栽培されていたものの子孫であり、現地では"kanaka koppe"(Hawaiian coffee)と呼ばれた。
ただし、現在の「コナ」はこれとは起源を異にする。1892年にヘルマン・ワイドマンが新たに、「グアテマラン」と呼ばれる品種をグアテマラから移入した。それまでのブラジル起源のコーヒーノキとの比較実験を行った結果、この新しい品種の方がより優れているという評価が得られた。コナのコーヒー農園では順次この新しい品種へと切り替えていった。これはやがて"Melikan koppe"(American coffee)と呼ばれるようになり、「コナ」「コナ・ティピカ」はこのグアテマラ由来の品種を意味するものになっている。
この「コナ」の元となった「グアテマラン」という品種の起源については、はっきりしたことはよく判らないというのが正直なところだ。しかし、その植物学的な特徴からは、マルチニーク島由来のティピカよりも、ブラジルの「スマトラ」との類似点が多いと考えられている。このことから恐らく、19世紀中にはすでにスマトラ島のコーヒーノキが直接ブラジルに持ち込まれており、さらにこれが1892年までにはグアテマラに広まっていたのだろう。そして、それがハワイに伝わり、現在のコナの元になったのだと考えられる。
*1:マラゴジッペは収量は少ないが、大粒の豆が取れることで有用な品種だと考えられた。
現在のインドネシアの品種
インドネシアでは、現在も多くの種類の耐さび病品種が栽培されており、いわば「耐さび病品種の見本市」みたいな感じだ。これらの栽培品種は、大まかには5つに大別することが可能だ。
- ロブスタ
- アラビカ
- ハイブリッド
- Sライン(アラビカxリベリカ交配種由来)
- ハイブリド・デ・ティモール(HdT)系(アラビカxロブスタ交配種由来)
- カチモール系(アラビカxロブスタ交配種由来、矮性)
ただしアラビカが混じっていれば、ハイブリッド品種でもすべて基本的に「アラビカ」の仲間として扱われている。これはインドネシアに限った話ではないが、注意が必要だろう。
なお、インドネシアの「栽培品種」の名称は、他の産出国に輪をかけて、かなりいい加減な部分が多い。他の国では別の名前で呼ばれている栽培品種が、インドネシアでは独自の名前になっているものも多い。これは現地の農園主が、割と「てきとうな」名前で呼んでいて、そちらの名前が普及しているせいでもある。
ロブスタ
インドネシア全体で見れば、依然として低地産のロブスタが主流であり、生産されるコーヒーの70〜80%がロブスタだと言われている。特に、南スマトラやジャワ島では、19世紀半ばに定着した水洗式精製が、ロブスタにも適用しつづけられてきた経緯があり、「ジャワコーヒー」は、一般に水洗式ロブスタの代名詞とも言える状況になっている。
水洗式(湿式)精製は、"washed","wet-process"と呼ばれるが、西インド諸島で主流になったことから、かつては「西インド式精製」(West indian processing) という別名でも呼ばれた。オランダ語ではこれを"West Indische bereiding"と呼び、その頭文字をとったのが"WIB"である。現在も「ジャワロブスタWIB」のように生豆の名称に見られる。
アラビカ
現在インドネシアで栽培されるアラビカは、
- クラシック・スマトラ
- アビシニア/USDA
- ブラワン・パスマー
である。いずれも「純粋なアラビカであり高品質」ということを売りにして栽培されている。ロブスタよりさび病に弱く、中でもクラシック・スマトラは特にさび病に弱い。アビシニアやUSDA、ブラワン・パスマーは、それに比べると若干ながら抵抗性があるようだ。ブラワン・パスマーは現在ではあまり見られないようだ(一応栽培されてはいるらしく、文献には見られるのだが…)
このうち、クラシック・スマトラは、ほぼスマトラ島北部でのみ栽培されている。トバ湖周辺の、いわゆる「マンデリンコーヒー」のエリアか、さらに北方のガヨ地方でも一部産生されている。
S-ライン
S-ラインは、ハイブリッド品種の中では比較的、品質が高いものと位置づけられる。これはロブスタでなく、リベリカとのハイブリッドであることに起因するが、その分、さび病に対する抵抗性では劣る。スマトラ島やジャワ島など、インドネシア各地で広く栽培されている。
特に、南スマトラから、ジャワ島、スラウェシ島、バリ島などインドネシア中央〜東部では、S-795に由来する「ジェンベル」が、高品質の品種として好んで栽培される傾向にある。スラウェシ島南西部のタナトラジャ地区、カロシ地区では、「トラジャコーヒー」「トラジャ・カロシ」などの銘柄のコーヒーが産出されているが、これらは品種上ではジェンベルであるようだ。バリ島ではS-795の名前で栽培されている。
また、現在「マンデリン」の産地として知られる、北スマトラのトバ地区に1970年以降、ラスナの名で導入されたものも"Kopi Jember"、すなわちジェンベルであるらしい。
HdT系
ハイブリド・デ・ティモール(HdT)は東ティモールで見つかったアラビカ×ロブスタの自然交雑種である。この品種はポルトガルのさび病研究所(CIFC)で研究されていたが、後にこの品種を元に開発されたカチモール(後述)の方が世界的に広まり、HdTそのものが栽培されている産地はあまり例を見ない。インドネシアでは東ティモールを併合したことから、この品種が直接、スマトラ島北部の中央アチェ地区に持ち込まれ、栽培されるようになった。
優れたさび病耐性を持つが、品質的にはアラビカとロブスタのちょうど中間だと言われ、他の国ではあまり高く評価されてはいない。しかしスマトラ式の精製法(後述)を行ったものには、同じ精製法のアラビカよりも高く評価されるものもある。中央アチェのガヨ地区やトバ湖周辺など、スマトラ島北部で主に栽培されている。
カチモール系
インドネシアのカチモールは、HdTと同時に東ティモールから偶然持ち込まれたものが起源であるとされる。元々は、CIFCがHdTをカトゥーラに戻し交配して作った、矮性の耐さび病品種である。HdTと同様に優れた耐さび病を持ち、高収量で収穫性がよく、また戻し交配したことによって品質も多少改善したと言われている。
当初、この品種はアテンと呼ばれ、アチェ地区から一気に広がりを見せた。現地の小規模農園で栽培されていくうちに、さまざまな名前が乱立し、また性質の変わったものがインドネシア各地に広まっている。インドネシアで現在栽培されている矮性品種には、さび病に対してほとんど耐性を示さないものが見られるが、これらが「さび病耐性を失ったカチモール」なのか、「(どこかから導入されていた)元からさび病耐性を持たないカトゥーラなど」なのかについては、現地での品種の混乱も相まって、よく判らないというのが現状だ。しかし、現在主流のアテンやシガラー・ウタンなども徐々に耐性を失いつつあることなどから、SCAAやFAOなどでは、カチモールに由来するものが多いと考えているようだ。
現在、北スマトラから広まったアテンやシガラー・ウタン、また主にジャワ島などで栽培されているカルティカやアンドゥン・サリなどが、このときのカチモールに由来するものと言われており、インドネシア各地での主力品種になっている。また、マンデリンが栽培されているトバ湖周辺でも1990年頃から栽培されている。ティムティムと同様、スマトラ式精製法ではアラビカよりも良質と評価されることがある。
「Giling Basah」:スマトラ式精製法
インドネシアのコーヒーを語る上では、品種もさることながら、その特殊な精製法も重要である。ジャワ島でロブスタにも水洗式精製を用いていることは上述したが、それ以外の島、スマトラ島やスラウェシ島などでは、世界的に主流な水洗式とも乾式とも異なる、独自の精製法を用いている。
その定義や呼び方については混乱がある。「スマトラ式」「湿式脱殻 wet hulling」「半水洗式/半湿式 semi-washed」「半乾燥式 semi-dried」などの呼び名が用いられる。「パルプド・ナチュラル pulped natural」と呼ばれることもあるが、こちらはブラジルなど中南米で用いられる精製法のみを指す場合もあり、必ずしもスマトラなどで行われる方法とは工程が一致しない場合もある。インドネシア語では"wet hulling/wet grinding"を意味する"Giling Basah"と呼ばれることが多いようだ。
この「スマトラ式」と、他の精製方法とのいちばんの大きな違いは、脱殻と乾燥の順序の違いである。
- 水洗式
- 収穫 → 果肉除去(pulping) → 発酵(水槽内) → (ペクチン層を洗い流す) → パーチメントコーヒーを乾燥(水分11〜13%程度) → 脱殻
- 乾式
- 収穫 → 乾燥(パーチメントの水分11〜13%程度まで) → 乾燥した果肉ごと脱殻
であるのに対して、スマトラ式では
-
- 収穫 → 果皮除去 (pulping) → 発酵(籠 or 水槽内) → 洗浄 → 部分的に乾燥(水分40〜50%) → (集荷)→ 脱殻(水分30%) → 乾燥(水分11〜13%)
という流れである。含水量が極端に高い状態で脱殻することが、"wet hulling"と呼ばれる所以だ。パルピングの段階では、果肉までは完全に除かれず、果皮だけが除去される。続く発酵の段階は、果肉の一部とペクチン層が残った状態で行われ、この状態のものをそのままプラスチックの籠などに入れておく方法(dry fermentation)か、水を入れたプラスチックバケツの中で水洗式のように発酵させる方法(wet fermentation)かの、どちらかが用いられている。産地によっては、収穫後に果実を水に浮かせて(floating)選果するところもある。
この方法で精製された生豆は、特徴的な青緑色*1を示し、また酸味が和らぎ、こくのある「伝統的なインドネシアのコーヒー」の味わいになると言われている。
一方、スマトラ式精製では、含水量が高く柔らかい状態の生豆を脱殻するため、脱殻の段階で潰れてしまう生豆が出てくる。豆の片端が潰れて二つに分かれ、「割れた蹄」のような形になることから、「ヤギのひづめ」(インドネシア語で"Kuku Kambing")とも呼ばれ、欠点豆の一種になる。
また、含水量の高い状態(一般に19%以上)で保管された場合、オクラトキシンAなどのカビ毒を産生するカビの仲間(Aspergillus ochraceusなど)が生える危険性が高くなることが知られており、食品衛生の立場から注意することも必要だと言われている。
スマトラでこのような精製方法が用いられている理由には、現地の栽培および集荷のシステムが大きく関係していると考えていいだろう。小規模農園による栽培が主流であり、また熟した果実を摘み取って出荷する必要から、7-10日おきに5-6ヶ月の間、生豆の収穫と出荷が続けられる。
収穫の時期が長期に亘ることもあり、元々雨が豊富な稲作地帯であったトバ湖周辺では、乾式精製を行うことが困難だったのだろう。他方、水洗式を採用するにも、少量ずつの生豆を水洗式でこまめに精製し、完全に乾いた状態の生豆を出荷するのは、全体としてコストがかかりすぎることになる。
このためスマトラ島では生産した農園で「途中まで乾かした種子」を、取引業者が集荷して、まとめて脱殻と仕上げの乾燥を行う生産システムが出来上がったのではないだろうか。
発酵前に果皮を除去するのは、特にdry fermentationの場合には重要である。他の果物を思い浮かべれば、果皮に傷をつけた方が早く「傷む」ことはお分かりだろう。スマトラ式で発酵にかける時間は、「果皮を傷つけずに行う」一般的な水洗式よりも短く、水洗式では1-2日水槽に浸け込むのに対して、一晩(12-18時間)程度発酵させた後、発酵によって除去しやすくなったペクチン層と果肉を、洗って取り除く。ただしdry fermentationより、wet fermentationの方が概ね品質は高いと評価されているようだ。
またこの「果皮を除く」という精製方法には、ジャワで栽培されていたリベリカの影響もあるかもしれない。実は、リベリカには品質や耐さび病性の他にもう一つ、アラビカと比べて、果皮が非常に固く、通常の水洗式では果肉の除去が難しいという問題があった。このことは、ジャワでリベリカを栽培していた19世紀末頃、農園経営者の間で大きな課題になった。その後、新型のパルパーが導入されるなどもしたが、結局ジャワでのリベリカ栽培は下火になった。
ひょっとしたら、この当時、インドネシアでいくつかの「効率の良い」精製方法がいくつか試され、その中の一つがトバ湖周辺に適した方法として、今に伝わったのかもしれない。
この他、この地域に見られる独特な「精製法」で作られるコーヒーとして、「コピ・ルアク」も挙げられるだろう。が、これについてはまた別のときにゆずろう。