はじまりの物語(2)
エチオピアにおいて、もっとも古くからコーヒーを利用してきたと考えられるのは、アラビカの原産地でもあるエチオピア西南部の諸部族である。しかし彼らが歴史の表舞台に本格的に姿を表すのは、かなり時代が下ってからで、15世紀末…すなわちイエメンのゲマルディンによる利用が記録された1454年以降のことになる*1。しかも彼ら自身が記録した歴史的資料は少なく、特に15世紀以前の状況については、キリスト教エチオピア帝国やイスラム教徒(ムスリム)らが残した文献から、ごく断片的に、しかも「キリスト教徒やイスラム教徒の目から見た姿」が伺える程度だ。
15-16世紀以前の西南部に関するキリスト教エチオピア帝国の文献の大半は、自分たちがいかに先住民の部族やイスラム教徒たちと戦い勝ってきたか、という戦乱の記録ばかりであり、先住部族の文化や風習に関する記録は、残念ながら見いだすことができない。一方イスラム教徒が残した文献としては、ゼイラ(ザイラウ)からショア(シェワ)にかけて旅行したアラビア人による手記があり、道中見かけた作物や果物に関する記録も少し見られるが、コーヒーについての記録は残念ながら見られない。元々、イスラム教はアラビア商人たちがエチオピアに広めたもので、彼らは北部のキリスト教徒らより先に、しかも商売人である関係からエチオピア現地の人々に溶け込んで生活していた。したがって西南部の諸部族とも接触していた可能性は十分に考えられるのだが、それに関する具体的な文献はエチオピアには残っていないようだ -- ひょっとしたらエチオピア帝国が内陸部を制圧した後で完全に破棄され、その記録の痕跡まで消されてしまったのかもしれない*2。
結局、いろんな文献を調べてまわってみたものの、エチオピアの「コーヒーのはじまり」についての直接的な証拠を見つけることはできなかった。しかし、この当時のキリスト教(エチオピア)側、イスラム教(アラビア半島)側の文献をつなぎ合わせてみると、少なくとも9世紀から15世紀頃の間に、エチオピア西南部の人々がエチオピア中央・東部へ移動し、そこからまたエチオピアのイスラム教徒がイエメンへと、それぞれ移動していった足跡を見いだすことが可能である。これらの人々の移動はいずれも、紀元前から続くキリスト教国家であるアクスム王国や、その正統後継者であるソロモン朝エチオピア帝国による、エチオピア先住部族やイスラム共同体への侵攻が引き金となって引き起こされたものである。